コース概要
「文学小封神」コースでは、文学界の先達・許丙丁による著作『小封神』の舞台をたどりながら、ユーモラスな時空の旅から台南の民間信仰や歴史文化に触れ、赤嵌エリア周辺の寺廟や神話伝説の魅力を発見していきます。
コースプラン
開基霊祐宮 → 赤嵌楼 → 贔屭碑 → 祀典武廟 → 西社 → 祀典台南大天后宮 → 抽籤巷 → 大井頭 → 帽仔街 → 十字大街 → 雲錦号 → 打銀街 → 万福庵 → 猴霊樹王公
第一スポット:開元霊祐宮
概要
開基靈祐宮は、明の永暦年間(17世紀半ば)に創建されました。当時の府城鎮北坊赤嵌街後方にあった同廟は、清の嘉慶2年(1797年)、道光15年(1835年)、咸豐6年(1856年)に修繕が加えられました。前殿の側山壁には、1914年の修繕の際に地元の有力者達の寄進によって作られた記念碑「重修霊祐宮碑記」がおさめられています。1932年、明治公学校(今の成功小学校)拡張のために、正殿が三川門前に逆向きに移設され、現在の西向きの位置に変わりました。その後屋根や梁の修復、塗り直し等の作業が加えられ、民国74年(1985年)に現在の姿になりました。
第二スポット.:赤嵌楼
概要
赤崁楼の前身は、西暦1625年にオランダ人が建造した要塞「プロヴィンシヤ城」です。一説には、15枚の花布と引き替えに現地先住民から土地を取得し、牛皮を細長く裁断して繋ぎ合わせる手法でその範囲を決定したと伝えられます。1661年、鄭成功がオランダ勢力を駆逐して承天府を設置し、蓬壺書院・五子祠・文昌閣などが次々と増設されました。清の康熙22年(1683年)に台湾が清領となると軍火庫として用いられ、その後頻発する地震で徐々に損壊が進行。現在は東北の稜堡(りょうほ)や土台が往時の面影を残すのみですが、1983年に台湾初の国定古蹟(第1号)に指定されています。
第3スポット: 贔屭
概要
贔屭(ひき)は乾隆53年(1788年)に林爽文の乱平定を記念して建立された乾隆帝の御製石碑です。四篇の漢文、四篇の満文、そして漢満併記一篇の計九篇が刻まれている非常に珍しい石碑です。龍の九子の一つとされる贔屭が台座を支える造形をしています。亀に似ていることから亀碑とも呼ばれます。運搬当初、一基が水路に落下して埋没しましたが、日治時代に発掘され、以降南廠保安宮に安置されて白蓮聖母として祀られ、現在も盛んに参拝されています。
第4スポット: 祀典武廟
概要
国定古跡祀典武廟は赤崁楼の南にあり、雍正5年(1727年)に政府の祀典に列せられた関帝廟で、大関帝廟とも呼ばれます。林爽文の乱後、三川殿右壁に「重修郡西關帝廟碑記」が刻まれました。1906年(明治39年)の修繕の際には、道路の拡張が行われますが、中央にあった廟を避けるため、道をカーブさせました。
第5スポット.:西社
概要
西社は祀典武廟の観音殿右側に位置し、五文昌が祀られています。清代の府城には五大詩社がありましたが、西社は文昌帝君を祀っていたことから、文人たちが集う重要な文化サロンでした。
第6スポット.:台南大天后宮
概要
台南大天后宮は明永曆15年(1661年)から整備された、台湾最古の官建媽祖廟です。鄭成功が深く崇敬したとされ、拝殿には歴代皇帝から下賜された扁額が多く掲げられています。祭礼時には、地域住民による盛大な神事が行われます。
第7スポット: 抽籤巷
概要
「抽籤巷」はかつて内関帝港(開基武廟)と外関帝港(厲王宮)で異なる占術文化が育まれた場所です。前者では温雅な籤詩に漢詩を交えた解説を乞い、後者では乩童口述による直截的な託宣を求めたとされ、その風俗や利用者の階級、教育水準の対比がこの小路に集約されています。現在も数軒の占い店が軒を連ね、伝統的な籤占いを体験できます。
第8スポット.:大井頭
概要
大井頭は宣徳年間(1426~1435年)に鄭和が西洋航海の途上で汲んだ名水の井戸という説と、オランダ統治期に防火用水として掘られたという説があります。いずれにせよ、台南府城の西定坊に位置し、甘美な水質で知られ、「大井の水を飲むと肥えずに美しくなる」との言い伝えが残ります。
第9スポット.:帽仔街
概要
帽子店が軒を連ねたことからその名が生まれた通りで、現在の忠義路と永福路を結ぶ民權路に位置します。昔ながらの竹細工帽子や伝統的な帽子工房が今も点在し、当時の風情を感じながら散策できます。
第10スポット.:十字大街
概要
オランダ統治期から明、鄭成功の時代にかけて発展した場所で、清朝時代にはこの十字大街を起点に東西南北へ市街地が拡大しました。十字大街南端の「上橫街」や北端の「禾寮港街」「過坑仔街(総爺街)」などが広義の横街に含まれ、現在の台南市街区画の原型を形作っています。
第11スポット.:雲錦号
概要
江浙地方から招聘された織物職人が開業した高級布店で、光緒帝の婚礼祝いに使用された逸話を持ちます。現在は蘇小児科医院として使用されていますが、外壁には往時の「雲錦號」の扁額や装飾がそのまま残されています。
第12スポット:打銀街
概要
清末期には「打銀街」、日本統治期には「白金町」と称された銀細工の一大産地で、現在組合加入の職人は2700名、年々減少していますが、2軒の老舗が伝統技術を継承し、店内では象嵌や彫金の実演を見ることができます。
第13スポット:万福庵
概要
明鄭時期(1661~1683年)に鄭成功の部将阮季友ら戦没者を祀るために建立されました。清の嘉慶11年(1806年)に修繕が行われた際に、「万福庵」と改名されました。。戦後も度々修復が行われ、前庭の照壁は市定古蹟に指定されています。
第14スポット:猴霊樹王公
概要
萬福庵の照壁横に立つガジュマルの老樹は、複数の瘤が猿の一族を思わせる形状をなしているため、「猴霊樹王公」と呼ばれています。子供の病気を治すとして信仰され、木の周囲には子供の健やかな成長を願う札が結ばれています。